インタビュー

「かわいい」と全国から共感の声 横田知佳さんが作るシアニードール


ぱっちりお目々に真っ赤な唇、カラフルな衣装―。

一風変わった女の子の人形を作っているドール作家がいる。東京都在住の横田知佳さんだ。

9年前、つわりに悩む友人を励まそうと作った「シアニードール」は今、「かわいい」と女性から共感を集め、全国各地から注文が来るまでになった。

昨年には念願だったギャラリーでの個展も開催。大手百貨店とコラボレーションしたり、東京コレクションにも登場したりするなど、シアニードールとの活動は広がりを増している。

横田さんは「シアニーを通して皆さんに幸せを届けたい」と話す。

(取材日2017年3月30日)

3月30日、都内にあるアトリエを訪れると、大小さまざまなシアニードールが出迎えてくれた。

ドレスやワンピース、ファーコートなど、趣向を凝らした衣装を身にまとってほほ笑んでいる。個展用に額の中に納められたものや、ウェディングドレスを着た背丈160センチほどの大きなものもある。

「ご依頼いただいた方のお顔や服装、これからどうなっていきたいのかといった人生の展望などからイメージを膨らませていきます。

特に色を通して表現することは大切にしていますね。

新しいことにチャレンジしたい人であれば、『芽吹く』意味を持つ黄緑色を使ったりして。色には、人を元気にさせる力があると思っているんです」

喜んでくれた友人「その人形、いいですね」と街中でも

シアニー誕生のきっかけとなったのは2008年。横田さんは当時、福岡県に住み、歯科衛生士として働いていた。

専門学校時代からの友人がつわりに悩んでいることを聞き、励ましたいと思った横田さんは、お守りになるようにと女の子の人形を作って遠方の友人宅に送った。

子どものころから手先が器用で、裁縫が得意だったという。

「すっごく喜んでくれました。外出するときもバッグにつけて、肌身離さず持ってくれていたみたい。

病院の看護師さんからも『かわいい』『私も欲しい』と言われたと聞いたときは驚きました。うれしかった」

横田さんは自分用にも同じものを作った。携帯電話のストラップにして街を歩いていると、服から出ている人形を見て、「いいですね。どこで買ったんですか?」などと声をかけられるようになった。

周囲の反応を見聞きするにつれて、創作意欲は高まっていった。

シアニードールは身長16センチ、フランス生まれの17歳という設定。「しあわせ」「にんぎょう」の頭文字をとって命名した。

人形は全て手作りだ。綿や毛糸、シルクや皮などさまざまな素材を使って体や衣装、髪を仕上げていく。ビーズなどでアクセサリーも施す。


反響は家族・友人から、福岡でファッションに携わる人たちにも広がった。

第一号の誕生から2年後の2010年には、フランス製の服を扱う店や雑貨店、メンズファッション店の3店舗でシアニードールが販売されるようになった。

人形を見て気に入った店主から「うちにも置かせて」と頼まれたという。

歯科衛生士として朝から夜まで働き、自宅に帰ってから制作に取り組む日々。作業は深夜、休日にも及んだ。

自分の作った人形を手にして喜ぶ人たちの顔を想像すると、時間を忘れた。「いつか、ギャラリーでシアニーが会場をいっぱいにする個展を開きたい」。そんな思いも芽生えた。

「C’est bon」自信と確信を得たヨーロッパ滞在

横田さんは2014年に7カ月間、フランスとイギリスに滞在した。「ドール作家としての自信が深められた貴重な時期でした」と振り返る。

夜、仕事が終わり、自宅に帰る途中でコンビニエンスストアに立ち寄った。入ってすぐに、ある雑誌の表紙が目に留まった。

世界的なファッションデザイナーである島田順子さんの写真が掲載されていて、その立ち姿に視線は吸い寄せられた。

ページをめくると、島田さんのフランスでの生活が紹介されていた。凛とした佇まい、存在感に引き込まれた。

「なんてかっこいい人だろう。フランスに行こう」

そう思った横田さんは、翌日、勤務する歯科医院の院長に意向を伝え、スムーズに退職できるように準備を整えて1年後に日本を発った。

結果的に、島田さんには会えなかったという。

「一緒に過ごさせてください」などとA3サイズの大きなポストカード一面にびっしりと自分の思いを書き、島田さんが経営する店舗に持って行ったが、パリ・コレクションの準備期間中だったためスタッフに「今は…」と断られたのだ。

落ち込んだものの、「それならば」と横田さんは海外での個展開催に目標を切り替え、アトリエを借りて制作に没頭した。

その傍ら、出会う現地の人に人形や作品集の冊子を見せて回った。海外の反応が知りたかったのだ。

「C’est bon(いいね)」。口々にそんな言葉が聞かれた。「イッセイ・ミヤケ」のデザイナーなど、ファッションに携わる人たちも興味を示してくれたという。

「フランスにはシンパシーを感じる人がたくさんいました。『シアニーで人を幸せにしたい』なんて言うと、日本では真面目に受け取ってもらえないこともあります。

でもフランスだと、『いいね』『素敵だね』『面白いね』って共感してもらえることが多かったんです。

ああ、私はこのままでいいんだなって。シアニーを作り続けようという気持ちがさらに高まりました」


ビザなしでの滞在期限の3カ月を迎えようとしたころ、横田さんの活動を見ていたマンションのオーナーから提案があった。

「チカは頑張っているから、もし海外で制作を続けたいのなら、私がロンドンに持っている家を使っていいよ。お金は要らないから」

イギリス・ロンドンでも制作を継続。ギャラリー関係者などと知り合って個展を開催できないか目論んでいたところ、突然、横田さんの海外での生活は終止符を打った。

母から電話があり、父の死去を知った。

これからも、流れるままに

2017年4月で、東京に移り住んで2年になる。

引っ越した当初、都内に友人や知人は少なく、不安もあったが、持ち前の明るさと福岡での活動を生かして、シアニードールを披露する舞台を増やしていった。

福岡時代に知り合った経営者からの提案で、西武池袋本店でファッションイベントを共催。好評だったことから、イベント後に西武から直にシアニードール展示会のオファーを受けた。

福岡のアクセサリー作家からバッグデザイナーの由利佳一郎さんを紹介され、シアニーを気に入った由利さんは、昨年10月に出演した東京コレクションのステージで人形を高々と掲げた。

念願だったギャラリーでの個展も開くことができた。知人を通して知り合ったギャラリーのオーナーにシアニードールを評価され、昨年12月、銀座の「gallery R&T」でシアニードール約50体が会場に飾られた。

「夢に描いたことがついに現実になるんだ」

シアニードールが入った額を壁に飾ろうとするとき、横田さんの思いはあふれた。

9年前に友人を励まそうと作ったシアニードールが、いろいろな場所でさまざまな人の手に渡り、たくさんの笑顔をプレゼントしてくれた。亡くなった父にも晴れの舞台を見てもらいたかった。目頭を押さえながら、準備に取り組んだ。

横田さんは東京でも歯科医院に勤めていたが、作家活動に専念しようと独立。

「シアニードールを作るという私の使命を全うしていきたい」。東京に来てから立て続けに起きた出来事が作家としての自信をさらに深め、その確固とした思いが背中を押した。

シアニードールが着ている洋服の製品化、シアニーが世界を旅する絵本の制作など、挑戦したいことはたくさんある。

それでも、それらに固執することなく、流れに身を任せていくのが彼女の信条だ。

「たくさんの人からもらえる言葉やアドバイスを大切に、そして何より自分の気持ちの赴くままに、これからもシアニーと一緒に活動していきたい。シアニーを通して世界中の人を笑顔にすることが私の人生なんだと思っています」

(フリーライター・庄部勇太)

横田知佳さんの情報はこちらでも→インスタグラム @cyanie_offiicial

編集後記

横田さんと出会ったのは、ぼくが新聞社で記者をしていた2012年。当時、ぼくが所属していたチームは「連載を通して福岡の面白い若者を紹介していこう」とネタを集めていた。

ぼくの大学時代の友人から会社の後輩を紹介してもらい、その人からファッションデザイナーを紹介してもらい、さらにそのデザイナーから教えてもらったのが横田さんだった。

「はい、横田です!」

横田さんのことを考えると、電話越しに聞こえる快活な声が頭に浮かぶ。レスポンスが早く、行動が早く、いつもいつもそうではないと思うけど、ポジティブ。

シアニードールは、存在しなかったものだ。横田さんは独自の作品=仕事を生み出して、多くの人に喜んでもらっている。

ITとロボットによって、これから、人間がやらなければならない仕事は徐々に減っていく。そんな中で、今まで仕事とは思われなかったことが仕事になっていく時代になる。

横田さんはこれからの時代を現す好例だと思う。