プライベート

小説好きライターが勧める「面白い芥川賞作品」4作【2010年代】

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

「最近の芥川受賞作で何か面白い小説はないだろうか」

今回はそんな人に向けて、2010年代に芥川賞を受賞した小説を全て読んだ読書好きライター・ショウブ(@freemediwriter)が、全25作品のうち特に面白いと感じた4作を紹介します。

冒頭のように、芥川賞受賞作に限定して魅力的な小説を探している人は参考になるかもしれません。

小説の好みは人によって違うので、あくまで「その人が面白いと思ったかどうか」に終始するわけですが、この記事ではわたしの読書遍歴も書くので、「この人とは好みが合うかもしれないな」と思った人はこの記事で紹介する小説も読んでもらえるとうれしいです(合わなかったらすいません)。

挙げるのは

  • 高橋弘希『送り火』
  • 村田沙耶香『コンビニ人間』
  • 今村夏子『むらさきのスカートの女』
  • 小野正嗣『九年前の祈り』

です。

ライター庄部の読書遍歴

わたしは2020年11月1日現在、35歳。大学に入ってから小説を読み始め、今も習慣的に読んでいます。仕事を除くと、読書と映画を見ることが最も好きなことです。

社会人になって以降は読む数が減りましたが、2016年に独立して自由な時間が増えてからは大学時と同じくらいの読書量に戻り、今は年間100冊ほどを読んでいます。

食わず嫌いはさほどしない方で、大衆小説、ミステリー、海外文学、純文学といろんなジャンルの小説を読んできました。

ここ5年はもっぱら国内の純文学を読んでいます。

好きな作家や「癖になっていてどうにも読んでしまう」作家は夏目漱石、谷崎潤一郎、江戸川乱歩、松本清張、村上龍、村上春樹、川上未映子、中村文則、町田康、西村賢太、高橋弘希、今村夏子、ドストエフスキー

人間とは何か、を考えさせられる小説が好きですね。

さて、そんなわたしが2010年代に芥川賞を受賞した作品の中で特に面白いと感じたものを紹介していきます。

高橋弘希『送り火』

新人で、ここまで書ける人がいるのか…

太平洋戦争中、野戦病院に収容された日本兵を描いたデビュー作『指の骨』(第46回新潮新人賞)を読んで驚き、それから早々に高橋弘希さんの小説は全て読みました。

最も好きなのが芥川賞を受賞した『送り火』です。

高橋さんは文章が本当に素晴らしいんですね。描写がそれは美しく、わたしにとっては「こんな文章を書きたい」と思わせてくれる小説家です。

『送り火』でも、抑制の利いた緻密な描写が丁寧につづられることで、小説の世界がありありと浮かびあがってきます。

高橋作品には会話文や心理描写が少ない特徴があり、同作もそうですが、場面描写を主にしてこんなにも豊かなものが作れるのか、とまた驚かされました。

語らずに描く。わたしの好きな松本清張にも共通する作風。

描写の多い小説は苦手、そう思っている人にもきっと発見と感動があるのではないでしょうか。

また、この作品は描写がすごいだけでなく、序盤からヒリヒリとした緊張感が漂っていて、それが終盤には…という、筋の変遷も楽しめます。

芥川賞に関する情報サイト「芥川賞のすべて・のようなもの」によると、選考委員の山田詠美さんは芥川賞にノミネートされた高橋さんの『指の骨』を読んで「久々に才能というものを感じた」と話し、『送り火』の選評では「完成度に驚嘆した」と語ったそう。

また、同じ選考委員である小川洋子さんも素晴らしいコメントを寄せていました。

「語り手の視線には豊かな沈黙が満ちている。言葉を発することと無言でいることが、この小説では矛盾しない。

高橋さんの言葉は、言葉の届かない場所へ読者を運ぶ。そこは小説でしかたどり着けない場所なのだ」

『送り火』のあらすじ

春休み、東京から東北の山間の町に引っ越した、中学3年生の少年・歩。通うことになった中学校は、クラスの人数も少なく、翌年には統合される予定。

クラスの中心で花札を使い物事を決める晃、いつも負けてみんなに飲み物を買ってくる稔。転校を繰り返してきた歩は、この小さな集団に自分はなじんでいる、と信じていた。

夏休み、歩は晃から、河へ火を流す地元の習わしに誘われる。しかし、約束の場所にいたのは数人のクラスメートと、見知らぬ作業着の男だった――。少年たちは、暴力の果てに何を見たのか――。

――文藝春秋BOOKS

『送り火』で印象に残った文章の一部

帰路、二人は橋の親柱の近くに刺さっていた橡の木杭に、蝉の幼虫を見つけた。幼虫は羽化を始めたところだった。幼虫の褐色の全身が収斂と膨張を繰り返し、やがて背が一文字に裂け、内側から蛍光色の成虫が、服を脱ぐように迫り出してくる。二人は足を止め、蝉を覗き込むように屈み込み、少年の眼でその一瞬を見ようとした。七年間を地中で過ごし、地上へと現れ、成虫へ羽化する、その一瞬だった。

やがて成虫の内側から、エメラルド色の柔らかな薄翅が捲れ上がる。その二枚の薄翅を広げようというところで、成虫は動きを止めた。ある瞬間に、蝉はその薄翅を、ぱっと花咲くように広げるだろう。歩はその一瞬を見逃さない為に、まばたきすら惜しんだ。しかしどうしたわけか、成虫は殻から半身を覘かせた状態で、一向に動かない。拍動していた胴体も、事切れるように最後の一打ちをすると、完全に停止した。

●は無言のままに、恥ずかしさに上気したかのように、顔を赤らめている。力が足りねに違いね、■はそう洩らすと●の背後に立ち、縄を自身の手首に一周させて固定し、頸を絞め上げていく。今度は確かに、縄が肉へ食い込む。恥の赤味ではなく、鬱血による紅色が顔面に広がる。首筋には、頸動脈と思われる青黒く太い血管が浮き出る。●は声にならない喘ぎと呻きを洩らしながら、両手で縄を緩めようとするが、ビニール縄は頸の肉の深い場所まで完全に食い込んでおり、指を入れる隙間がない。顔面は次第に赤黒く変色し、唇からは泡を噴き、頭を左右に激しく振って、乾いたアスファルトの上でバタ足をする。しかし足掻けば足掻くほど、ビニール縄は正確に●の肉を捉えていく。■は背後から、再び●に問う。どうだ、彼岸さ達したな? 彼岸様、降臨されたな? 彼岸様、どったらお告げを述べてらな?

※人名は伏せました。

高橋弘希さんのプロフィール

1979年12月8日青森県十和田市生まれ。2014年、『指の骨』で第46回新潮新人賞を受賞。2017年、『日曜日の人々(サンデー・ピープル)』で第39回野間文芸新人賞を受賞。2018年『送り火』で第159回芥川賞を受賞。他の作品に『朝顔の日』『スイミングスクール』などがある。

――新潮社ホームページ

村田沙耶香『コンビニ人間』

またぶっとんだ小説を…

村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を読み始めてすぐ、こう思いました。

村田さんは発想力がすごくて、常識とはかけ離れた“変な”小説を書くことが多い印象を受けますが、文章を読み進めていくと、その“変さ”を感じることが本当に正しい感覚なのか疑問に思えてくるんですよね。

常識とは、普通とは何か。異端とは、変とは何か。

変わった人間たちが平易な文章で淡々と描かれることによって、最初は突拍子もないように思えていた人物に妙なリアリティーが生まれ、「実は変なのは自分ではないのか」と思わされてくるんです。

自分の存在を問われること。

これが小説を読む大きな醍醐味だとわたしは思っていて、村田さんの小説を読むといつもぐわんぐわんと自分が振り回されているような気がして、でもその揺れが心地よかったりして。

中でも、『コンビニ人間』は村田さんの持ち味が存分に発揮された怪作であり、時代にも適合した傑作だと思います。

価値観の多様化が進み、“普通”の概念が崩れつつあるけれど、でも、依然としてその感覚も根強く残っている。

そんな時代のはざまである今、必要な小説だと思いました。

当時の芥川賞選考委員であり、候補作を評価することが少ない――過去の選評を読んたわたしの印象です――村上龍さんもこの『コンビニ人間』は認めていたようです。

今に限らず、現実は、常に、見えにくい。複雑に絡み合っているが、それはバラバラになったジグソーパズルのように脈絡がなく、本質的なものを抽出するのは、どんな時代でも至難の業だ。

作者は、「コンビニ」という、どこにでも存在して、誰もが知っている場所で生きる人々を厳密に描写することに挑戦し、勝利した。

――芥川賞のすべて・のようなもの

『コンビニ人間』のあらすじ

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」

お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。

――文藝春秋BOOKS

『コンビニ人間』で印象に残った文章の一部

早くコンビニに行きたいな、と思った。コンビニでは、働くメンバーの一員であることが何よりも大切にされていて、こんなに複雑ではない。性別も年齢も国籍も関係なく、同じ制服を身に付ければ全員が「店員」という均等な存在だ。

性経験はないものの、自分のセクシャリティを特に意識したこともない私は、性に無頓着なだけで、特に悩んだことはなかったが、皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進めている。たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない、そのほうが自分たちにとってわかりやすいからそういうことにしたい、と言われている気がした。

「でも、変な人って思われると、変じゃないって自分のことを思っている人から、根堀り葉掘り聞かれるでしょう? その面倒を回避するには、言い訳があると便利だよ」

皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私にはそれが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった。あんまり邪魔だと思うと、小学校のときのように、相手をスコップで殴って止めてしまいたくなるときがある。

村田紗耶香さんのプロフィール

1979年千葉県生れ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003(平成15)年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。

著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』などがある。

――新潮社ホームページ

今村夏子『むらさきのスカートの女』

やっぱり、むちゃくちゃ気持ちいい

この記事で紹介する作品は全て2回読みましたが、『むらさきのスカートの女』を再読していたとき、こう思いました。

今村夏子さんの小説はとても読み心地が良くて、読み始めるとすぐに世界に入り込めてしまうんですよね。

一見すると、文章は普通。でも、気付けばページを繰る手が止まらなくなっている。

物語と文体がぴたりと一致している、自然な文章ということなのでしょうか。

よくわかりませんが、わたしにとっては魔力のようなものを発している文章であることは間違いありません

…うまく書けません。

ただ、純文学と呼ばれる小説を日常的に読んでいる人は今村夏子さんの文章のヤバさがわかるのではないかと思います。

そして、世界も面白い。

『むらさきのスカートの女』だけに限りませんが、出てくる人物はちょっと変で、筋もちょっと変で、くすりと笑える部分もあって。描かれる子どもがかわいい。

文章と人物、筋、ユーモアの微妙な異質さが絶妙に混ざり合って、唯一無二の小説が生まれている、という印象。

何かの記事で「天然小説家」とか「世界文学」とか表現されていましたが、わかります。海外の児童文学や童話に通じる、ふわっとした奇妙さが漂っているんですよね。

芥川賞のすべて・のようなもの」によると、選考委員の宮本輝さんは「今村さんは以前候補作となった『あひる』でも特異な才能を感じさせたが、今回の『むらさきの…』で本領を発揮して、わたしは受賞作として推した」と語っていたといいます。

個人的には、この作品よりもデビュー作の『こちらあみ子』と『あひる』の方が好き。特に『こちらあみ子』を読んだときは驚きました

この小説、ものすごいので読んでほしいです。太宰治賞と三島由紀夫賞を受賞したのもうなずけます。

『むらさきのスカートの女』のあらすじ

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない“わたし”は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。

――Amazon

『むらさきのスカートの女』の出だし

この小説は特定の箇所が印象に残るというより、全体を通した奇妙さが特徴だと思ったので、出だしの部分だけ抜粋します。

うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれているのだ。

わたしは最初、むらさきのスカートの女のことを若い女の子だと思っていた。小柄な体型と肩まで垂れ下がった黒髪のせいかもしれない。遠くからだと中学生くらいに見えなくもない。でも、近くでよく見てみると、決して若くはないことがわかる。頰のあたりにシミがぽつぽつと浮き出ているし、肩まで伸びた黒髪はツヤがなくてパサパサしている。むらさきのスカートの女は、一週間に一度くらいの割合で、商店街のパン屋にクリームパンを買いに行く。わたしはいつも、パンを選ぶふりをしてむらさきのスカートの女の容姿を観察している。観察するたびに誰かに似ているなと思う。誰だろう。

今村夏子さんのプロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で太宰治賞を受賞。『こちらあみ子』と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に三島由紀夫賞受賞。2017年『あひる』で河合隼雄物語賞、『星の子』で野間文芸新人賞を受賞。2019年『むらさきのスカートの女』で第161回芥川賞を受賞。

――Amazon(一部追記)

小野正嗣『九年前の祈り』

2010年代に芥川賞を受賞した25作品のうち、最もぐっときた、ありていに言えば泣きそうになった唯一の小説が小野正嗣(まさつぐ)さんの『九年前の祈り』です。

筆者には伝えたいことがある。伝えたいことがあって小説を書いている

そう感じられる作品でした。この記事で挙げた4作品のうち、再読中に最も面白がれたのが『九年前の祈り』でした。

乱暴を承知で書きますが、純文学を「王道」と「覇道」で分けるとすれば、小野さんの小説は前者であり、だからこそ2回目でも魅力が損なわれなかったのだろうと思います。

舞台である大分県の海沿いの町、土地に生きる人々が実直かつユーモラスに描かれつつ、地からほんの少し浮遊しているような比喩表現が小説に深みを与えています。

そして、「困難と希望」が大きなテーマとして物語を包含しています。

小説がバランス良く巧みに構築されていて、全体的に美しい印象を受けました。

「やや捉えにくいところがあるけれど、レトリックを巧みにちりばめ、音楽性のある散文を作らんとする作者の狙いは実現して、捉えにくさも、むしろそれが魅力であるとの読みができると思え、当選作に推したいという意見に積極的に賛成した」

芥川賞のすべて・のようなもの」によると、選考委員の奥泉光さんは選評でこう語っていたそうです。

下の「印象に残った文章」の一番目に書きますが、同作は出だしが素晴らしいのも特徴で、わたしはすぐに引き込まれました。

『九年前の祈り』のあらすじ

三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。

希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、母子の前から姿を消してしまったのだ。

何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。

九年の時を経て重なり合う二人の女性の思い。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。

――講談社BOOK倶楽部

『九年前の祈り』で印象に残った文章の一部

渡辺ミツさんのところの息子さんが病気らしい。母がそう言うのが聞こえたとき、さっきから喋り続ける母を無視して携帯の画面を見るともなく眺めていた安藤さなえを包んだのは、柔らかい雨のような懐かしさだった。

「みっちゃん姉!」とさなえはささやいた。

病気という不穏な言葉にもかかわらず、そしていま彼女が置かれた見通しの決してよいとは言えない展望にもかかわらず、急に雲間から一筋の光が差し、「渡辺ミツ」という名がさなえを照らした。

その優しい光のなかに、ひざまずいて祈る一人の初老の女性の姿が見えた。赤いリュックを背負った小柄なおばちゃん、みっちゃん姉が頭を垂れ、握り合わせた拳の上に額を乗せていた。

息子の目を見ると、長い睫毛が朝の光と親しげに戯れていた。降りそそぐ「かわいいねえ」の言葉も、天使のような横顔には何の変化ももたらさなかった。でも何も感じていないはずがなかった。だから、そこに隠されているに違いない照れや喜びを引き出すためにも、指を伸ばし、息子の柔らかい頬をつまみたくなる。それでも出てこないのなら、さらに力を込めて、つねらなければならない。ひねりあげなくてはいけない。そうなったとしても仕方ない。息子は泣くだろう。そうなれば、美しい天使のなかに埋もれた本物の息子が現れるだろう。でもこれまで天使から出てきたのは、引きちぎられたミミズだった。

カナダでもトロントからモントリオールまでは飛行機だった。「座ってばっかりじゃと疲るるのお」とこぼしながらも、町の陽気なおばさんたちは南国の鳥の群れさながら大きな声でしゃべり散らしていた。さなえはときどき無性に恥ずかしくなって、離れて座れないときには横を向いて寝ているふりをしたし、実際に眠りもした。「おどや、おどや、若えのにさなえちゃんは寝てばっかりじゃのお」と誰かが言い、すると降りそそぐ陽光のもとで南国の鳥たちが水遊びをしているかのようにはなばなしく音と光があたりに飛び散った。

小野正嗣さんのプロフィール

1970年、大分県生まれ。小説家、仏語文学研究者。『水に埋もれる墓』で朝日新人文学賞、『にぎやかな湾に背負われた船』で三島由紀夫賞、『九年前の祈り』で芥川龍之介賞受賞。

訳書にV・S・ナイポール『ミゲル・ストリート』(小沢自然との共訳)、ポール・ニザン『アデン、アラビア』ほか。

――新潮社ホームページ

面白かった2010年代芥川賞一覧

記事内の情報、考え、感情は書いた時点のものです。

記事の更新情報はツイッター(@freemediwriter)でお知らせします。