「今日は●千字書きました!」「今月の稼ぎは●十万円!」
クラウドソーシングサービスの普及に伴うWebライターの激増によって、ツイッターの中ではこんな投稿があふれるようになりました。
Webライターが発する情報は相対的に文字数や収入に関するものが多い印象で、それは、「自宅にいながら本やネットの情報をリライトする」という仕事の特性が関わる―詳しくは後述します―と推察されるのですが、わたしはこうした発言を目にするにつれて、
「ライターとして大切な考えが抜け落ちていないだろうか」
と疑問に思うようになりました。
そこで今回は、Webライターになろうとする人や関心のある人に向け、フリーライターのショウブ(@freemediwriter)が、「Webライターになる前に、ライティングに取り組む前に考えてほしいこと」をテーマに書きます。
記者や取材ライター、編集者の中にはわたしのように考えている人が少なからずいるだろうと思うので、「Webライターは同業にどう見られているか」という意味でも参考になるかもしれません。
Webライターの定義
ネット上で仕事を依頼したい人と請け負いたい人をつなぐクラウドソーシングサービスの普及により、ここ5年ほどで「Webライター」と呼ばれる人たちが大幅に増えました。
上の記事にも書きましたが、ライターのあり様としては主に「Webライター」「在宅ライター」「取材ライター」の3つに大別されるようになり、中でも前者2つのタイプが大半を占める状況になったんですね。
- Webライター…Web媒体に文章を書く人
- 在宅ライター…リライトする人またはコラムニスト
- 取材ライター…取材して記事を書く人
Webライターの意味合いは広く「Web媒体に文章を書く人」ですから、中には取材をして同媒体に記事を載せてもらっている自分を「Webライターだ」と称しているケースがあるかもしれません。
しかしながらその多くは「自宅にいながら文章を書き、ネット媒体に記事を載せてもらっている人」だと思われるので、今回の記事ではあえてWebライターをそう定義づけます。
ツイッターでのつぶやきの特徴
2020年現在、ツイッターの利用を始めておよそ4年が経つ中で、「Webライター」と称する人たちのつぶやきの特徴に気付きました。
冒頭に書いた通り、自分が書いた「文字数」や「記事数」、そしてWebライティングによって得た「収入」の3つに関する投稿があまりにも多いなと。
これはあくまでも個人的な印象に過ぎないわけですが、この記事を読むWebライターの中には「言われてみれば…」と心当たりのある人もいるのではないでしょうか。
その一方で、取材をして記事を書いている記者やライターにはこのような顕著な傾向は見られないように感じています。
なぜ、こんな違いが生まれるのでしょう。
わたしは、Webライターの仕事の特性が関わるのではないかと考えています。
端的に言うと、「文字数」「記事数」「収入」を自分の仕事の手応えとして認識しやすい一方、それら以外で手応えを得られにくいのではないかと。
今記事の定義では、Webライターの仕事は企業から与えられたテーマについて本や雑誌、ネットで情報を集め、それらをリライトしながら記事化するものです。
企業の担当者と顔を会わせるわけではなく、またその分野について詳しい人に会い、話を聞くこともしない(記事への責任感が強くなりづらい)。引き受けた仕事が自分の関心の低いことも往々にしてある。
原稿料は全体的に低く、数を裁かなくてはならない。自分の名前が記事に載ることや記事の反響を聞くことも少ない。
となると、「文字数」「記事数」「収入」の3つが、自分が仕事をしている、してきたという拠りどころになりやすくなるのではないでしょうか。
何文字書こうが読者には関係ない
わたしはそのような人を批判しているわけではありません。
数字に置き換えることで自分の仕事の状況を可視化しやすくなり、そのことがモチベーションの維持や課題の発見、引いては自身の成長に寄与することがあるかもしれませんし、またそのような内容を投稿し、フォロワーから「いいね」をもらうことでやる気が上がるかもしれません。
しかしながら、ライターが書いた文字数や記事数、収入がどうであろうと肝心の読者には何の関係もありませんよね。
何千字書いた、何記事書いた、何十万円稼いだ。
全て自分のことです。
読者に何らかのポジティブな影響を与えることがライターの大きな役割ではないかとわたしは考えていて、それを実現できたかどうかを確かめるのはすごく難しいことではあるのですが、それにしてもWebライターの投稿が全体的に利己に走りすぎているのではないかと思うのです。
クラウドソーシングサービスが普及し、また数多くの企業がオウンドメディアを立ち上げたことでWebライターのニーズは高まりました。
- ライターになるのに資格は要らない
- パソコンがあればすぐに始められる
- 自宅にいながら続けられる
- 「Webライター」って響きもなんだかかっこいい
最後はわたしの推測ですが、こういったことからWebライターとして仕事を始めることがとても容易な時代になりました。
「リライトでいいのか」考えて
過去のブログ記事にも書きましたが、クラウドソーシングサービスによってライターになるハードルが低くなったことはいいことだとわたしは考えています。
病気や障害、家庭の事情などによって外出の難しい人の可能性を広げるものですし、また、才能のあるライターを輩出しやすくなったということはそれだけ、読者にポジティブな影響を与える可能性が高まったことを意味するからです。
一方で、Webライティングは多くの場合、テーマに詳しい人を取材しないが故に記事の質が低くなりやすいことも事実です。
なのでまずは、
- この案件をリライトで済ませていいのか
- 読者にむしろ悪影響を与えないだろうか
と想像し、「仕事を吟味した上でライティングに取り組んでもらいたい」というのがわたしの思いなんですね。
システムが悪を生む危険性
ネット上のWebライターの発言を見ていると、本やネットの情報をリライトして手早く世に出すことが至極普通のこととして捉えられているように感じます。
これもわたしの経験と主観に留まるわけですが、読者への危険性も含め、Webライターの仕事の意義に触れている当事者の発言を見たこともありません。
システムは便利なものですが、同時に危険性もはらむものではないでしょうか。
システム(クラウドソーシングサービス)が集団を生み、集団心理によって個人の深い思考や洞察、葛藤が自律的・他律的に減り、それがやがては悪を生んでしまう可能性があると。
言ってみれば、「赤信号みんなで渡れば怖くない」という状況になってしまうのではないかとわたしは思うのです。
2016年に起きたウェルク問題で、運営元のDeNAは大いに非難されましたが、メディア「WELQ」の記事を書いていたのは、クラウドソーシングサービスを利用していた多くのWebライターたちでした。
ウェルクには毎日約100本の記事が掲載され、それぞれの原稿は2000文字以上、1000円の報酬が執筆者には与えられていた。
多くはクラウド人材サービスで調達した執筆者で、医療機関での就業経験や資格などは必要なく、執筆したヘルスケア情報の事実関係に関する質問や修正が執筆者に依頼されることもなかったという。
それだけ多くの読者に、自身や家族、友人知人の健康に関する心配事について、誤った知識をバラ撒いていたのであれば、それが他サイトからの転載に近い「パクリ記事」であれ、オリジナルで書き起こしたものであれ、大きな問題だ。-「炎上」が暴いたDeNA劣悪メディアの仕掛け(東洋経済オンライン)
さまざまな報道にある通り、DeNAのやり方は当時のグーグルのアルゴリズムを逆手に取った悪質なものだったとわたしも思いますが、極論、Webライターが仕事を引き受けなければここまで大きな問題にはならなかったのではないでしょうか。
同問題に関する報道では主にDeNAのマインドや運営体制に批判の焦点が当てられた一方、仕事を請け負い、記事を書くWebライターの倫理観には議論がさほど及ぼなかったように思います。
結果的に、Webライターが自省する機会を失したとも言えるのではないでしょうか。
わたしはあまり強いことを書くのは好きではなく、またこのような主観を軸とする記事を書くのを常とはしていませんが、思うことがあり、今回、書きました。
WebライターやWebライティングに関心のある人は
- 掲載先がどんなメディアか
- どんな運営体制か
- 記事テーマと自分が合うか
- 読者に親切な記事になるか
- リライトで事足りるか
- 読者をだますことにならないか
- 署名がつくとしたらその記事を出すか
- 身近な人に記事を紹介できるか
- その記事を書いたことを後悔しないか
こんなことを考えてからライターの道を進んでほしいなと。
いちライターの考えとして、参考にしてもらえればうれしいです。
フリーライターの庄部でした。
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